以前、小説『わたしをさがして』の表紙を描いてくださった石居麻耶さんの画集『或る日々の光景』をめくっていたら、前に自分ではさんだらしい、四つ葉のクローバーがポロリと出てきた。
この間の詠美さんのサイン本といい、どうも最近、こうやって過去からのエールが本を伝ってやってきている気がします。
私は、昔、あることがあって以来、過去とか未来とかというものは決して失われたものではなく、今この瞬間も生きているわたしと同じようにどこかに存在するんではないか、という考えを持っています。
だから、デビューしたてのしゃかりきになった「過去のわたし」はどこかにいるし、願わくば今より落ち着いたいい女になっていて欲しい「未来のわたし」もどこかにいるという。
でもそうすると、一秒後のわたしとか三日前のわたしとか、わたしというやつが無限に存在することになってしまいますが、宇宙というものの容量はけっこう広いそうなので、仮にそういうことがあってもわりと寛容に受け入れてくれる・・・わけないか。
文系のくせに理科チックなことに手を出して論理が破たんしたSF小説の典型のような文章になっちまいましたが、まあそういう風に、過去の自分や未来の自分とエールを送り合うような感覚というのは案外面白いし心強いんじゃないか、ということが言いたかったわけです。
ちなみに小説『わたしをさがして』の表紙になったのはこの作品。
『地球岬』というタイトルで、今は私の部屋に飾られています。