ゆく川の流れは絶へずして、しかも元の水にあらず。
今日の自分はきっともう一年前の自分とは違っていて、
しかし記憶だけは連綿と続いているという不思議がある。
昔、美術館で見た絵を何年かぶりに見たらすごく変わっていたことがあって、
私はてっきり見る側の自分が変わったせいだと思っていたけど、
もしかしたら絵の方が変わっていたのかも知れない。
そういうことってあるんじゃないか。あるはずない、と思い込んでいるだけで。
たとえば、いまこのマンションの窓の下で咲いているあのツツジだって、
去年も同じ場所で咲いていたけど、確実に去年とは違う花なわけで。
すると、いまこうやって文章を書いている私も去年の私とは別人かも知れない。
見た目が同じだけど違っている、というのは人間関係でも言えることで、
昨日私を好きだったあの人が今日も好きとは限らないし、
そうじゃないからって文句を言えないのはお互いさまなのであって、
ひとりひとりが変わりつつ関わったり別れたりするのは、
さながら無計画につくられた高速道路のジャンクションのようだ。
もし、その混乱や渋滞っぷりをフカンで見ている御仁がいたら申し上げたい。
こういうのって、やっているのと見ているのとどっちが面白いですか?