ごくたまに、自分ではさして縁がない、と思い込んでいた人が、
実は案外近い心を持っているのを発見することがある。
お互い警戒心が強いから相手をジッと観察してたわけなんだけど、
なにかの拍子に互いの本音が出て「あら、あなたも私と同じこと考えてたの」とわかった時の喜びったら。
誰かの悪口を言うくらいならその相手から距離をとるよね、とか、
誰かが不機嫌そうにしているとつい自分の責任に感じちゃったりするよね、とか、
あのひとあんなにいろいろ言うけど実は本人の問題なのにね、とか、
それだからといってその人とガーッと仲良くなる、というようなことはないんだけど、
HがふたつとOがひとつ一緒になると水の分子ができるように、
あ、この人とはここの部分では「化合」できるんだ、とひとつわかるとちょっとうれしい。
基本的に、人というのはいいも悪いもない多面的な存在なんだけど、
ある人と会っている自分は好きで、
ある人と会っている自分が嫌い、というのはどうしようもなくある。
世の中にはマゾ気質の人間が多くて、
ほんとうはきらいなのにわざわざ自分から仲良くしようとしたり、
ほんとうはきらいなのに断り切れず付き合ったりする。
だけど、ほんとうはきらいだから時間が経つうちにだんだんひずみが出てきて、
ある日とうとう大爆発、というようなことは極めてよくある。
自分がきらいな人というのは、わざわざ自分を嫌っている人に近づいていって仲良くなろうとしたり、
自分より立派そうに見える人と自分を同一化しようとしたり、
自分より立派そうでない人のことをついばかにしたりする。
だけど、そのやりかただとなかなか自分を好きになることができないから、
いつまでも不安から逃れられなかったりする。
お遍路さんでいう「同行二人」というのは要するに「自分と化合する」ことであり、(そもそもはお大師さまと二人、という意味だけど)
まずはそれをすることから「自分が好き」というのが生まれると思う。
そうすると、だんだん自分と同じように、自分が好きな人というのがおずおずとひとり、またひとりと近づいてきて、
そうすると「あれいいよね」「これいいよね」というようなあたたかい輪が生まれる気がする。
「この人といる自分が好き」という化合をいくつかベースに自分を組み立てていくと、
少々の風に当たっても折れない、自分の「基本」みたいなものができていくんじゃないかと思う。
〔佐伯紅緒公式ブログ 2013年7月3日〕