最初に『プロ彼女』というテーマについて本を書いてください、と言われた時、正直、ピンとこなかった。
なぜなら、いまどき「収入のいい男をゲットして一生安泰な生活をしよう」などと、時代錯誤を通り越してほとんど神話だと思ったからだ。
ちなみに『プロ彼女』とは一時期はやった、一般人女性でありながら芸能人やセレブと付き合う女性を指す言葉である。
実際、私の周りにも、その定義にあてはまる女性が何人かいる。
職業柄、彼女たちとご飯を食べたり、相談にも乗ったりすることも多い。
そのうえで言えることは、「彼女たちは、別にそういうものになろうとしてなったわけではない」ということだ。
事実、ほとんどの女の子たちは、濁流にのまれるような人生を過ごしてきた結果、ふと気づいたら隣にそういう人がいた、みたいなことを言う。
そして、なったあともいろいろ苦労している。
実際、私が冗談で「こないだ、あんたたちみたいになりたい女の子のための本を書けって言われたよ」と言ったら、彼女たちは一様に口を尖らせ、「なれるもんならなってみろ」と言った。
自慢ではなく、この立場、決していいことばかりじゃないのである。
世は未曽有の不況だ。
現在、40代半ば以下の人間はほとんど「この国が元気だった時代」を知らない。
成功体験がないというのはなにをやるにもモチベーションが上がりにくいもので、
だから最近、年下の子たちと話していると「ああそうも消極的になるよなあ」と思う。
なんというか、彼女たちは、なにをするにも石橋をガンガン叩く。
吊り橋をスキップしながら渡っていた私たちの世代とは大違いだ。
確かなものなどなにもなく、明日どうなるかさえわからない。
そういう今の時代となっては、ちょっときれいでフットワークが軽くて立ち回りのうまい女の子が、
「稼いでいる男、人気のある男をゲットしよう」
などという考えに飛びつきたくなるのも、ある意味、当然のことなのかも知れない。
ただ、私自身が霊長類ヒト科のメスを半世紀近くやってきて確実に言えることは、
「やっぱり、そうやって人に頼るより、自分に必要なものはまず自分で手に入れ、その上で相手探しをした方が、早いし確実だし精神衛生にいいし、その方が望む相手を得られ、幸せになれる可能性が高い」ということだ。
だから、『プロ彼女』になるための本なんか書けないけど、
『自分で生きていく力を身につけ、その上で自分に合ったパートナーを手に入れるための戦略本』
だったら書けるかも、という返事をしたところ、
「じゃ女性のための兵法というか、生きるための戦略書はどうですか」という話になり、企画が通った次第である。
その気持ちはこのたび新刊『女子の兵法』が出たあとも一ミリも変わっていない。
これからの時代、男も女も、自分ひとりで生きる力ぐらいは自分で身につけたほうがいいと思う。
そのうえで縁のあった人と一緒になり、楽しく暮らしたほうがいい。
なぜなら、もし自分がなんも持たないまま稼ぐダンナだけつかまえても、その先に待っているのは「食うには困らないけどワクワク感のない空虚な日々」だからだ。
お金があれば解決できることは多いが、お金は決して「それさえあれば幸せになれるもの」ではないのである。
私はこう見えて幼少の頃から極端なコミュニケーション不全で友達がおらず、
小学校時代のあだ名は「昆虫ばばあ」と「一生独身」だった。
子供って本当に残酷だが、小学生の児童たちにそう言わしめたものが当時の私にあったわけだ。
当然、そんな感じだったから、これまでの人生、「いかにしてひとりで生きられるか」を考えて生きてきた。
目標は「いきなり野に放り出されてもなんとか生きていける人になること」だった。
そうすればなにがあっても大丈夫、と。
それはいろんな仕事を経験し、有形無形のスキルを身につけたことで、遠回りはしたけれど、けっこううまくいった気がする。
しかし、
年をとるというのは面白いもので、そんな風に周りを見ないで生きてきた私でも、最近、同じ時代に、同じ空気を吸い、同じように泣いたり笑ったりしている自分より年下の人たちを見て、(上でもいいけど)
「ほかの人たちってどうしてるんだろう、なんか自分が持ってるもので役に立つことないだろうか」
と考えるようになった。
私のような、「歩くビオトープ」というか、「完全ひとり生態系生物」ですらそう考えるようになったのだから、世の中、よほど差し迫っているというか、ひっ迫しているんだろう。
でも、これも思うんだけど、
国に元気がないかも知れないけど、それに合わせて自分まで元気をなくす必要はないんじゃないか。
むしろ、企業とか国家とか、かつて権威があったものにその力がなくなってきたということは、そのシバリがなくなった分、個人レベルの自由度はかえって昔より上がった気がするのだ。
そう、今だって、選ばなければ仕事はあるし、余計なプライドさえ捨ててしまえば、怖いものなどなにもないのである。
ただ人間、せっかく生まれてきたからには、楽しみたいじゃないかって思う。
会いたい人に会い、行きたいところへ行き、食べたいものを食べ、したいことをする。
そういうことって、自分で「やる」と決めさえすれば実はなんでもできるのだ。
図書館の本と家にあったブックローン百科事典だけが世界のすべてだった子供の頃から、
いつの間にか生まれた日より死ぬ日から数えたほうが早くなった今に至るまで、私は常に、そんなことを強く強く考えてきた。
物心ついた頃から作家になる、と根拠なく決めていたし、当分なれないかもしれないけど(実際なかなかなれなかった)、時間をかければかならずいつの日かなれるだろうと信じていた。
それで今、売れっ子ではないにせよ、まがりなりにも文章を書いてお金をもらえるようになったのは、私が優秀だったからではない。しつこくやり続けたからだと思う。
私より文才がある人など、世の中にはいくらでもいる。
でも多分、その人たちは目はしがきいて、もっともっと効率よく暮らせる道を見つけたのだろう。
その点、ひとりビオトープだった私は「そんな効率の悪い生き方はやめてもっと実入りのいい職につきなさい」と正論を言ってくれる賢明な人に出会わなかったわけだ。
でも、そんな効率の悪い生き方をしてきた私から言いたいのは、
どうせ人間、死亡率は100%なんだから、せいぜいその前に好きなことして死にましょうということである。
そのためにはまず自分という「玉」は可能なかぎりピカピカに磨いたほうがいいし、自分という人間をわかってもらうためのアクションは起こしたほうがいいし、「私はこれがしたいんです」という宣言はしたほうがいい。
でないと、「あなたをどこかで待っている人」に会えないし、その人と楽しく暮らすこともできない。
実際、ほんのちょっとのことなのだ。
ぜんぜん難しくなんかないのに、その「ちょっとしたこと」を知らないせいで損をしてる人が大勢いる。
......という、
そういうことを考えながら書いたんです、今度の本『女子の兵法』。 ホントです。
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よろしくお願いいたします!m(__)m