佐伯紅緒 公式サイト Salon de ROUGE

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中華街

Jan 17, 2014

CATEGORY : 小説

関内で取材があったので、その前に中華街を散歩してきました。

どうしてこう歩いているだけでテンションが上がるんでしょうね、ここ。

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肉まんは、冷えたのとあっためたのでは値段が違うそうです。 さすが。

〔佐伯紅緒公式ブログ 2014年1月17日〕

鈴木いづみ

Jan 15, 2014

CATEGORY : 小説

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しばし狂気の世界へ突入。

ページをめくるたびにひりひりします。 

〔佐伯紅緒公式ブログ 2014年1月15日〕

春と修羅

Sep 08, 2013

CATEGORY : 小説

引用あまり好きじゃないのですが、

最近ある漫画で目に留まってなんとも心にしみたので。

ちなみに卒論は賢治でした。 いま白状しますが、全集読んでません。 

 

告別                     宮澤賢治

   

   おまへのバスの三連音が

   どんなぐあいに鳴ってゐたかを

   おそらくおまへはわかってゐまい

   その純朴さ希みに充ちたたのしさは

   ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた

   もしもおまへがそれらの音の特性や

   立派な無数の順列を

   はっきり知って自由にいつでも使へるならば

   おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう

   泰西著名の楽人たちが

   幼齢 弦や鍵器をとって

   すでに一家をなしたがやうに

   おまへはそのころ

   この国にある皮革の鼓器と

   竹でつくった管(くわん)とをとった

   けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで

   おまへの素質と力をもってゐるものは

   町と村との一万人のなかになら

   おそらく五人はあるだらう

   それらのひとのどの人もまたどのひとも

   五年のあひだにそれを大低無くすのだ

   生活のためにけづられたり

   自分でそれをなくすのだ

   すべての才や力や材といふものは

   ひとにとゞまるものでない

   ひとさへひとにとゞまらぬ

   云はなかったが、

   おれは四月はもう学校に居ないのだ

   恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう

   そのあとでおまへのいまのちからがにぶり

   きれいな音の正しい調子とその明るさを失って

   ふたたび回復できないならば

   おれはおまへをもう見ない

   なぜならおれは

   すこしぐらゐの仕事ができて

   そいつに腰をかけてるやうな

   そんな多数をいちばんいやにおもふのだ

   もしもおまへが

   よくきいてくれ

   ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき

   おまへに無数の影と光の像があらはれる

   おまへはそれを音にするのだ

   みんなが町で暮したり

   一日あそんでゐるときに

   おまへはひとりであの石原の草を刈る

   そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

   多くの侮辱や窮乏の

   それらを噛んで歌ふのだ

   もしも楽器がなかったら

   いゝかおまへはおれの弟子なのだ

   ちからのかぎり

   そらいっぱいの

  光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

 

〔佐伯紅緒公式ブログ 2013年9月8日〕

 

 

一万時間の法則

Apr 30, 2013

CATEGORY : 小説

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「黒い報告書」を書いたことで、関西に住む義母が「私が落ち込んでいるんじゃないか」と心配しているという。

なんでー? と思ったんだけど、「報告書」を書いた作家さんの中には郷里の親から「おまえは金に困ってるのか」と言われた人もいるらしく、そうじゃない、そうそうたる作家先生が書いている由緒ある連載なんだ、と理解していただくのにかなりの時間を費やしたというので、まあその心配も世代的には仕方ないのかも知れない。

かたや、法事でお経を上げに来たお坊さんにまで「これうちの子が書いたのよ!」と無邪気に週刊新潮をひろげてみせるうちの母もどうかしてるけど(お坊さんがかわいそうだ)、親というのはまあ、いくつになっても子供の心配をしてくれるありがたい存在だと思う。

結論からいいますと、書いて本当によかった! と思ってます。

というのは、私には長いあいだ、エロス(性)とタナトス(死)をきちんと描いたことがないという負い目があって、だから、いつかはそういうものと向き合わねばと思っていた。

だからこのお仕事が来た時、あー、こいつは一挙両得だあ、と思ったわけです。

もちろん、経験がないからといっていやいや書いたわけではなく、ふと気づけばイキイキと書いている自分がいた。これは我ながらすごく意外で、ああ人間、この年になったらもうやりたいことしかやりたくないなあ、とつくづくしみじみ思ったのでした。 気づくのが遅いか。 遅いな、うん。

しかし思えば私はバブル華やかなりし頃から、付き合う男性も、選ぶ職業も、ただただ「それは自分にとって楽しいかどうか」だけで適当に選んできた気がする。 

だから、他のみんなが条件のよいところに次々と就職していく中(あの頃は超売り手市場だった)、さしたる考えもビジョンもないまま、いろんな人が観察できそうだからという理由だけで当時すでに斜陽気味だった百貨店の売り子となり、結果、お給料もたいしてよくない、就労条件もバブル世代とは思えないほどインケツなカードを引き続けてきた。

付き合う男性も、人に言えば「どうしてわざわざそんなところに行くかね」と呆れられるような人ばかりに惚れ(詳細はそのうち書きます。 あ、一冊は書いたか。『かれ、ときどきテロリスト』というタイトルでイーストプレスから出てます)、そんなだから自分でも長生きはできないだろうなと思っていた。

そんな中でどうにか死にもせず、今日まで無事でこられたのは、ひとえに親兄弟やご先祖さまのご加護もあったんだろうけど、やはり最終的には「書きたいなあ・・・」というボンヤリした願望を捨てられなかったせいの気がする。

何かの本で読んだんだけど、プロになるには「一万時間の法則」というのがあって、どんな分野でもプロになる人は、そのための練習に最低でも一万時間以上は費やしているという。

それでいくと、こんな私でもいちおうその一万時間はクリアしている。まあその内容にもよるんだろうけど、まがりなりにもなれたところをみると、それなりに信憑性のある法則なんだろう。

しかし周りにはそれこそ10万時間は続けている人達もいるので、いろんな意味でまだまだだなあ、と思う今日この頃です。

本日発売。

Apr 18, 2013

CATEGORY : 小説

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本日発売の週刊新潮『黒い報告書』を書かせていただきました。

最近起こった実際の事件を題材にした、色と欲と破滅がテーマの週刊新潮の名物連載です。

こういう文章を書いたのは初めてなのでドキドキです。

しかし幼少の頃から親の目を盗んで読んでいたこの連載、まさか自分が書かせてもらえる日が来るとは思ってなかったので感無量です。

 

 

 

 

 

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