そのひとを「みかえしてやりたい」という一見ネガティブにも見える思いは、
裏を返せばそのこころは「どうかわたしをみとめて」という切なる願いなんではないか。
がんばってがんばって 世間的認知を得ようというこころみは、
ほんとうにそのひとの心の内をよくよくしさいにながめてみれば、
ようは「あのひとに気づいてほしい そしてねがわくば『すごい』と思ってもらいたい」
というところに集約されるんじゃなかろうか。
がんばっていろんなものをなしとげて手に入れて、 なんとなく振り返って
「あのひと、これみてくれてるかな」とふと思う。
映画『ソーシャルネットワーク』を見たとき(以下少しネタバレ注意)、
自分をふった彼女を見返したくてフェイスブックを立ち上げ巨万の富を築いたマークが、
肝心の彼女に友達申請し、何度も更新画面をクリックしては承認を待つシーンがあった。
要するにそういうことなんだな、としみじみしながら映画館を出た。
そして 画期的な発明だの世界を席巻するような革新的ななにかというのは、
もしかしたらその多くが「たったひとりのあのひと」のためにできたのかな、と思った。
青山の大坊珈琲店、今月23日をもって閉店。
学生の頃から通い続けた店。
長いあいだお疲れ様でした。
〔佐伯紅緒公式ブログ 2013年12月20日〕
今 並行させてやってる小説には自分の奇矯な名前を恥じる女と
平凡すぎる自分の名前を嘆く娘とが出てくるんだけど
参考までに世にいう「キラキラネーム」とやらをちょっと調べてみたら
いやあ もうお気の毒さま
世の中には本当に 自分の娘に「泡姫(ありえる)」なんてつける親がいるんだね
ありえん
この名前をつけたお母さんは愛娘が思春期になった時
クラスの心ない男共からなんとはやされるのか想像はしなかったのか
ちなみに太平洋戦争末期に生まれた男の子には「クニ」の字がつく人が多く
貧乏子だくさんの家庭の末っ子には「留」「末」「吉」などという名前が多い
だから「留夫」などという名前の大企業の社長さんなどに会うと ついねぎらいたくなってしまう
私自身は名前には特に縛られることはなかったけれど
本名の苗字が全国三位に入るくらい平凡なものだったので
昔から変わった苗字の人というのにはものすごく憧れがある
勅使河原さんとか京極さんとかには無条件でハハーッとなってしまうし
伊集院さんなんてもう五体投地だ
だから というわけじゃないんだけど 今ハタと気がついた
元カレのラインナップが みんな変わった苗字ばかりなのだ
思いっ切り縛られとるやんけ 私
ちなみに今までグッとこなかった変わった苗字は「蟋蟀(こおろぎ)」です
〔佐伯紅緒公式ブログ 2013年11月29日〕