前はなんでもかんでもバカ正直に耳に入れてはへこんでいたものだけど、
最近は誰かに何か批判的なことを言われると必ずこの言葉がよぎります。
「あんたはん あたしの人生 責任とってくれんのか」
くれないなら無責任なこと言わんといて。
と、なぜか関西弁が出てくるのです。
だって本当にそうなんです、
他人の意見を謙虚に聞くのもとっても大事なことだけど、
最優先しなければいけないのは何をおいても自分の心。
この大事な心を壊すものは、一見どんなに正しそうな意見であっても、実は有益なものじゃありません。
かといって、批判をぜんぶ無視するのも裸の王様になっちゃうのでアレだけど、
少なくとも、耳に入れる必要のない批判は以下の通り。
・代案なき批判(論外です)
・こちらを貶めたり、利用したりすることを目的とした批判(貴重な時間はどうか自分の成長のために使ってください)
・先方の気分や傷、ないしは病状による批判(お大事に)
・身に覚えのない批判(嘘はいけません)
これらは明らかに聞く価値がないし、とりあうだけ時間のムダなのですが、
実はこういうのって特定の誰かとかいうんじゃなく、一種の「エネルギー」のようです。
つまり、かたちや人を変えて何度も、寄せては返す波のようにやってくる、マイナスのエネルギー。
だから、それ自体をなくすのはたぶん無理。
必要なのは波をやり過ごす方法を覚えたり、適切な防波堤を築いたりすること。
それに、
本当にこっちのこと思って言ってくれることって、なんとなく伝わりますから、
安心して、精一杯自分の道を進んで吉、だと思います。
〔佐伯紅緒公式ブログ 2013年11月25日〕
安定した生活があるんだから、そんなに頑張ることないのでは?
寝ぼけたこと言いなさんな、とそのたびに言いたくなる。
安定なんてモンはもうこの国にはありません、人生、一寸先は闇。 誰でも一緒。
だったら、その不安定を思い切りチャンスにかえてやろうって今は思う。
むしろ、へんに自分は「安定」を得た、などとカン違いしてしまうと、そこで人生止まってしまう。 それが何よりおっかない。
人間、よほど勤勉な人でない限り、基本、怠惰にできてます。
背水の陣となれば頑張るけど、やってもやらなくてもいい、となれば、どうなるかは共産圏の歴史が示す通り。
甘えてサボって年とって、あとで泣きたくないんだわ。
だから、本当の意味で安定したければ、なりふり構わず前へ、前へ。
〔佐伯紅緒公式ブログ 2013年11月24日〕
のっけから、過激なタイトルで驚かれたかと思いますが、大丈夫です。
心身の調子はすこぶる良く、至って元気でやっております。
最近、ブログにお仕事のことを何も書いてませんでしたが、実はいろいろやってます。
まず、事務所経由でいただいたお仕事、初のハーレクイン電子書籍、アラブもの。
いわゆる「シーク」っていうやつです。 先日脱稿。 年内配信予定。
お次は漫画原作、先週脱稿。 本日、タイトル決定。 これは原作なので、絵を描いていただいてからの発表になるかと思います。
あとは詳細まだオフレコですが、映画の原作書いてます。
内容がアレなのでどうかなあと思ってたんですが、ためしに短編小説書いたら採用になりました。この際だから死ぬ気になって年内いっぱい頑張ります。
あとは、(やっと出てきたな)自分の小説。
2009年あたりからずっと書いていた、つごう700枚の長編ファンタジー小説です。
実はいったん完成してたんですが、時間かかってる間に担当さんが飛んじゃったり次の担当さんとの連携がうまくいかなかったりで、それがこのたび再び陽の目を見まして、現在、せっせと推敲中。
思えばこの4年間、私は長いスランプの中におりました。
プライベートでも父親が死んだり、震災が来たりなんだりで。
でも、いちばんの原因は自分でもわかっているんです。
うつになったとかそういうんではなく、
単純に「書けなくなっちゃったこと」です。
もちろん、この年月も友達と飲みに行ったり芝居に出たりと、いろんなことはしてました。
だけど、なんというか、「書く」ということに対してそれまでのような前向きな姿勢がなくなっちゃったのは事実で。
なんでだろー、と悶々と日々考えるうちに、ふと今年になって気づきました。
それは、
「この長編小説を完璧なものに仕上げて当てないことには先はない」といつの間にか思い込んじゃってたこと。
今はいろいろ調べたのでなんとなく知ってるのですが、
駆け出しの作家がこのスパイラルにはまり、消えていくのってとっても多いんだそうです。
事実、私の師匠だった作家さんもこのスパイラルにはまって自殺しました。
「純文学をやりたいから」と連載をすべて切り、ひきこもっての心身悪化です。
それを見ていたはずなのに、いつの間にか私自身もこの負のスパイラルにはまってた。
やばいなあ、と思った私は、今年に入ってから思い切って事務所に所属しました。
「なんでもいいからやります」と頭を下げて頼んだんです。
とにかく働こう。 書くことでお金をもらおう。 そうしたら、少なくとも今のこの状態からは抜けられるかも知れない。
そう思った途端、早速いくつか仕事をいただきました。
今年に入ってから、私はいただいた仕事をひとつも断ってません。
どれもやったことのない仕事ばかりだし、「書き下ろし小説を何冊も出してる作家さんにこんなのを頼むのは申し訳ない」と言われることもあります。
でも、そんなのはクソ食らえ、です。 文筆業は書いてナンボ。
幸い、私には過去の栄光などと呼べるものはございませんので、依頼さえあればエロだろうがなんだろうが腕をまくって書けるのですが、同業者の中にはなまじ過去にベストセラーだとかナントカ賞受賞歴だとかがあったりするせいで、そのプライドが邪魔をして何もできなくなって自殺した人もいるようです。
今年に入ってからも二人ほど女流作家さんの訃報をニュースで見ました。
いずれも私がデパートの売り子や料亭のお運びなどをしていた頃、文壇という華々しい場所で燦然と輝いていた方々です。
お二人とも、私より少し年下で、ここ近年は作品を発表しておらず、もったいないなあ、と正直思いました。
文章を書く人の自殺というのは特殊なケースが多いので、私ふぜいが憶測でどうこういう資格はないのですが、自分に関していう限り、やっぱり「書きたいものを書いてしまわないうちは死にたくない」とすごく強く思います。
物書きは引きこもって下を向いている姿勢の時間が長いので、いろいろ気をつけていないとあっという間に心身が停滞します。
停滞は、下降を呼びます。 そして、この下降がとってもアブナイ。
気がつくと、浜辺の砂に足をとられるように、ずるずると取り返しのつかない場所まで流されていってしまいます。
事実、ここ4年の私がそうでした。 気づくと人に会うことも減り、以前のような覇気がなくなっていました。
こんなの私じゃない、そう思い、どんどん、自分が嫌いになっていきました。
自分を好きになれるにはどうしたらいいんだろう。
若い頃ならいろんなファクターを見つけることが可能でしょうが、この年になってくるといろんなものごとの幅がどんどん狭くなってきます。
若い頃だったら「ケッ」とやり過ごせたものが、だんだん流せなくなってくる。
特に女という生き物はそうです。 女だということで得をしていた人ほど、年をとるとつらくなる。
それが嫌だったら書くしかない。 とにかく働こう、そう思いました。
仕事というのは面白いもので、どんな小さな仕事でも手を抜かず真剣にやっていると、必ず誰かが見てくれるし、どこからかまた別方向から次の新しい仕事が来ます。
さらに面白いのは、今私がやっている仕事を知らない人からいきなりポンと仕事が来るということ。
どうして今になって声をかけてくれたんですか? と聞いたら「急に思い出したから」と言われました。
たぶん、私に再び「やる気」が出たのがどこかのレベルで伝わったんでしょう。
人間って、ほんとテレパシーの生き物だなあ、とつくづく感じます。
そんな感じで、今年に入ってから「わらしべ状態」が続いています。
最近仕事選んでないよねー、と言われることが増えてきたので、この場を借りましてその質問にイッキに答えさせていただきました。
死にたくなかったから、です。 ただもうその一言に尽きます。
追い風が吹いているときは周りが勝手に持ち上げてくれます。
事実、デビューから三年くらいはまったく何の問題もありませんでした。
だけど、この風がやんだ時からが本当の勝負だったんだ、というのが今はわかります。
追い風の時に調子がいいのはただの運だったのに、それが止まった時にどうしたらいいのか私にはわからなかった。
だから長編完成に逃げました。そしてたぶん、その長編小説の完成からも逃げていたんだと思います。
酷評されたり無視されたりするのが怖くて、ただ逃げていたんだと思います。
あー私、本当に本当に正真正銘のバカでした。(今もバカだけど)
酷評されたり無視されたりなんて、当たり前のことなのに。
今の私の筆力で完璧な小説なんて書けるわけないのに。
時間がないー。
もうほんと、時間がないよ。
千年でも万年でも生きるつもりだったのか、私は。
今はただもう、書きたーい。
いっぱいいっぱい、いろんなことを、命の限り、書きたいのです。
〔佐伯紅緒公式ブログ 2013年11月24日〕