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なんで加計呂麻島なのか(2)

Feb 10, 2013

CATEGORY : 旅

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私は生まれてから小学二年生までの7年間、東京の葛飾柴又に住んでいた。 

ご存じ、「寅さん」こと山田洋次監督映画「男はつらいよ」の舞台である。

子供の頃の柴又は、まさに「寅さん」そのものの世界だった。

帝釈天の参道には煎餅屋や飴屋や草団子やだるまを売る店なんかが並んでいて、年に数回ある「庚申」の日になると縁日の屋台がならんだ。

参道をぶらぶら歩いていると、線香の匂いと共に両脇の店から煎餅を焼く醤油の匂いやおでんの匂いなんかが漂ってきた。

団子屋のショーケースの中には丸くちいさくまとめられた緑色の草団子がピラミッドみたいに積んであり、その横にこしあんの塊がドカンとゴージャスに置かれていた。

「松屋」という飴を切るパフォーマンスをやる店が有名で、白衣の職人が打楽器みたいなリズムでやわらかい飴を包丁で叩っ切る音が響いていた。

川魚を食べさせる料理屋にはたいてい店の前に大きないけすがあり、かぶせた鉄格子の隙間からうなぎや大きな鯉やらがぶつかりあいながら泳いでいた。

その川魚特有の生臭い匂いをかぎながら、キュルキュルと変な音を立てて身をくねらせるうなぎや鯉を見るのはワクワクした。

帝釈天の正門のところにはいつも傷痍軍人が立っていた。 痩せていて、いつも同じぼろぼろの軍服を着て、まともに見たことがなかったから定かじゃないが片腕だか片脚だかがなく、目を合わせるのが怖くて門を通り過ぎるときはひたすら下を向いていたのを覚えている。

あの頃、「男はつらいよ」シリーズは盆と正月に公開されていた。 だから、柴又では一年中「寅さん」のロケが行われていた。

私も父に連れられて近所の銭湯に行った帰り道、たまたま撮影現場に出くわし、渥美清さんに「いい子だね」と頭を撫でてもらったことがある。

帝釈天の境内で遊んでいると山田洋次監督に声をかけられ、「遊ぶ子供の役」としてエキストラ出演したこともあった。

(私に限らず、あの頃の柴又の子供は大抵そういう経験をしている)

当然、「男はつらいよ」は機会があるごとにテレビや映画館などで観ていた。

近所の町並や人々の姿をそのままスクリーンで見るという日常は、その後の私の人生によくも悪くも影響を及ぼしていると思う。

だから、奄美群島の加計呂麻島に縁あって初めて行ったとき、「寅さん」の最後の舞台が他ならぬこの地だったと知った時は本当に驚いた。

(詳しくはこちら)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%82%89%E3%81%84%E3%82%88_%E5%AF%85%E6%AC%A1%E9%83%8E%E7%B4%85%E3%81%AE%E8%8A%B1


続きます。 

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